唯可信斯高僧説 ただこの高僧の説を信ずべし
本願寺の阿弥陀堂
1760年 第17代法如上人の時 親鸞聖人500回大遠忌法要を機に12年間かけて再建されたものになります
(旧阿弥陀堂は京都西山の別院に移築され現存)
大きな屋根の瓦は約10万枚も使用
(2022年3月まで修復中)
正面向かって左の脇壇に
天親菩薩 道綽禅師 源信和尚の御影
阿弥陀堂は本願寺の本堂で
内陣中央にはご本尊 阿弥陀如来
向かって右の脇壇に
龍樹菩薩 曇鸞大師 善導大師の御影
向かって左の余間には源空(法然)聖人の御影
向かって右の余間に 聖徳太子の御影
七高僧
この七人の高僧 龍樹菩薩 天親菩薩 曇鸞大師 道綽禅師 善導大師 源信和尚 源空(法然)聖人は阿弥陀如来のみ教えを私たちに教え伝えくだり 親鸞聖人が大変尊敬された方々です
先日 正信偈の動画を配信しましたが 正信偈の後半「印度西天之論家~唯可信斯高僧説」では親鸞聖人がこの七高僧のお徳を讃えられています
七高僧は なにをされた方々なのか?
龍樹菩薩(150~250頃)
南インドで生まれられました
大乗仏教の大成者で 日本では「八宗の祖」として 宗派を超えて尊崇されています
仏道修行には難しい道と易しい道があることを示し
易しい道である阿弥陀如来の本願念仏による浄土往生をすすめてくださっています
天親菩薩(400~480頃)
北インド 現パキスタンで生まれられました
中国 日本の浄土教全体に大きな影響を与え
「帰命尽十方無礙光如来」や浄土真宗の信心をあらわす「一心」など大切な言葉を示してくださいました
曇鸞大師(476~542)
中国南北朝時代の北魏で生まれられました
不老長寿を求めて仙経(道教の書)を手に入れたものの 菩提流支三蔵と出会い己の非をさとり
仙経を焼き捨て浄土教の道に入りました
浄土真宗の重要な骨格となっている「他力」の教えを示してくださいました
道綽禅師(562~645)
中国の北斉で生まれられました
仏道を判別して この世でさとりをひらくことをめざす「聖道門」と
浄土に往生してさとりをひらくことをめざす「浄土門」の二門を示し
末法にはただ浄土門がさとりに至る道であると示されました
善導大師(613~681)
中国の統一王朝が隋から唐へ転換する時期に 現在の山東省 安徽省 江蘇省に当たる地で生まれられました
若い頃には道綽禅師に師事し のちに長安などで多くの民衆に教えを伝えられました
『観無量寿経』 南無阿弥陀仏の念仏によって 凡夫が阿弥陀如来の浄土に往生する教えであるとあきらかにされました
源信和尚(942~1017)
平安時代 現在の奈良県葛城市で生まれられました
天台宗の学僧として名声を博し やがて比叡山横川に隠棲して ひたすら念仏の実践につとめられました
主著『往生要集』では 阿弥陀如来の浄土のなかに 真実の「報の浄土」と真実でない「化の浄土」があることを示し 念仏ひとつによって真実の報の浄土に生まれることを勧めてくださっています
源空(法然)聖人(1133~1212)
平安時代末 現在の岡山県久米郡で生まれられました
比叡山で天台宗を学びますが 43歳の時に善導大師の書物に接して 念仏ただひとつの道に入られました
のちに山を下り 京都吉水の草庵でさまざまな身分の人々に教えを説き広められました
その中の一人が親鸞聖人です
源空聖人は 念仏ひとつの道を阿弥陀如来が用意してくださったことをあきらかにしてくださいました
阿弥陀如来のお念仏のみ教えは この七高僧を通してインド 中国 日本へ伝わり
そして今 私たちの元に届いてくださったのです
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中村宏述 (火曜日, 16 11月 2021 09:25)
ありがとうございました。
お釈迦様が説かれた仏の道をインド・中国・日本へとおよそ2000年の時を経て、現代に伝わっている仏教の教えはあらゆる師が努力されてこそと今更ながら感動します。
その中で親鸞聖人の教えに出会えたことに感謝申し上げます。
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