学仏大悲心

仏様の大いなるお慈悲を学ぶ

結城道哉さん

『御本典ごほんでん・総序そうじょ』 御自釈ごじしゃくの最初の語ことば  「竊以」ひそかにおもんみれば

この言葉は 相手に対して ひれふす・控ひかえる という思いを表すときに使われる「竊セツ ひそかに」です

では 何に対して「ひれふし」「ひそかにおもう」のでしょうか

それはまぎれもなく「聖」なる 『法語』つまり 『お聖教おしょうぎょう』に対している といえます

仏陀釈尊・七高僧から連綿と『顕あらわに』されてきた『浄土真実教行証文類じょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい』にひれ伏しておられるのです

『歎異抄たんにしょう』と 並べてみると より鮮明になります

唯円房ゆいえんぼうは『前序ぜんじょ』の最初に「 竊ひそかに めぐらし 愚 案ぐあん と示され

先師せんしの口伝くでんの真信しんしん【聖語せいご・宗祖しゅうその言葉】に異なることを歎なげき 

自見じけんの覚悟かくご(覚語かくご)【自釈じしゃく・唯円さんの言葉】をもって 筆を染められた事がことがうかがえます

『御本典ごほんでん』の初めの「竊以セツイ  ひそかにおもんみれば」という言葉によって明らかな事は

親鸞様は いつも「仏語ぶつご」「祖教そきょう」に向かい 合掌しておられるお姿であるという事です

私達の ほのぼの法話会の心の置き所もこれを基本にしたいと思います 

 

『唯信仏語ゆいしんぶつご』唯 仏語を信じ 『唯順祖教ゆいじゅんそきょう』唯 祖教に順したがう

 『すべてのものを救う仏様のお慈悲が説かれたお聖教』から離れる事のない人生が 誰にでも与えられている

だから 心配せずにいっしょに 参りましょう

『御本典ごほんでん・後序こうじょ』の最後に「信じ受け取る事も疑うたがい誹そしる事も構かまいません」「善悪ぜんあくにかかわらず 共に仏道ぶつどうにご縁えんのあるひととして菩薩は  憐あわれみ 摂おさめ取って 決して斥しりぞける事は無いのです」(取意)

勉強ができるできる人も できない人も 善も悪も正も邪も解らない私達が 大切な聖典『お聖教おしょうぎょう』を拝読はいどくし頂いて行く事に何も問題は無いのです

 『 学仏大悲心 がくぶつだいひしん 』 仏様の大いなるお慈悲を学ぶ 

善導大師ぜんどうだいし著 『観経四帖疏かんぎょうしじょうしょ(玄義分げんぎぶん・帰三宝偈きさんぽうげ)』

どうぞどなたも遠慮されずに 参加して下さい

以上  結城道哉さんの資料より