お盆の歴史と民俗

国立歴史民俗博物館

国立歴史民俗博物館

千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で

民俗学者の関沢まゆみ先生が「お盆の歴史と民俗」をテーマに講演をして下さいました

 

そもそも浄土真宗でのお盆の意味は

「仏弟子 目連尊者の故事に始まり 亡くなった有縁の人々を偲びつつ 仏法を聴聞する法会1)です

ですが、今回は民俗学からみた「お盆」が どういったものか聞いて来ました

講演で聞いた内容を要約してまとめましたので、載せておきます

ただの私のノートです

 

 

1、盂蘭盆の語義 ウランバナではなくウルバン

「盂蘭盆(ウラボン)」は、サンスクリット語の「ウランバナ(倒懸・逆さ吊り)」の音写ではない

ウランバナ(倒懸)」の音写とする解釈が初めて見られるのは7世紀前半の唐の僧 玄応の『一切経音義(2)』 

だが、近代までこの解釈で使用された例はほとんど見られない

この「倒懸」の解釈が一般化されたのは明治の仏教学者 荻原雲来(1869~1937)の影響である

その後、昭和の仏教学者 岩本裕(1910~1988)は「ウランバナ」からの由来説を否定(3)し、

3世紀以降に西域地方のイラン系ソグド人(シルクロードの商人)の用いていた

「ウルバン(死者の霊魂)」が原語であると主張した

 

2、記録にみるお盆の習俗

①初見

「盂蘭盆会」は『日本書紀』によると、斉明 3 年(657 年)奈良県飛鳥寺で行われたとある

寺院での設斎の記述は、それより早く推古 14 年(606 年)4 月 8 日と 7 月 15 日行われたとある

②盆供 ー盆行事の中心は死者への供物ー

『蜻蛉日記』『小右記』『今昔物語』などの記述をみると、10 世紀末から 11 世紀以降は寺院への盆供送りから

亡き親の霊前への盆供へと供物を捧げる対象が変化しているのが分かる

 ③生見玉・生盆の習俗 ー親の魂祭りは生死を超えてー

民間では生きている親に魚(特に鯖、刺し鯖、盆鯖(4))・米(蓮の葉に包んだもの)・ソーメンなどを、

元気で過ごしで欲しいという思いを込めて贈る生盆がある

このモノを送る習慣が拡大解釈され、その上さらに道教の行事 中元(7月15日)と混ざり、現在のお中元の習慣となった

 

3、民俗伝承にみるお盆の習俗

①柳田國男『先祖の話』にみる盆の理解

盂蘭盆は仏教行事として古くからあったが、それと民俗行事の「盆」は別である

②盆行事の地域差とその意味

類型Ⅰ(東北北部・九州南部)…墓地に盆棚を設置、墓地での飲食により生者と死者との交流をはかる

類型Ⅱ(中国四国・中部関東)…庭先・座敷に仏迎えの棚、砂盛

類型Ⅲ(近畿)…仏壇(先祖)・縁側(新仏)・軒先(無縁)を区別、墓掃除はするが墓参りはしない

また仏壇をきれいにしはするが、特に盆棚を設けないというタイプも実際上広くみられる

③民俗伝承は歴史の反映

8~9世紀 墓地は先祖の眠る場

10~11世紀 墓地は死穢充満の場、死穢忌避、摂関貴族の觸穢思想が京都で強くなる

摂関貴族の觸穢思想の影響を歴史的に強く受けてきた近畿地方

それに対して、あまり影響を受けていない東北・九州地方という違いが、盆行事の地域差になった

 

4、葬儀と墓の変化と盆行事

①遺骸葬と遺骨葬の二者択一へ

遺骸葬(関東に多い) 通夜→葬儀→火葬

遺骨葬(東北・九州地方に多い) 通夜→火葬→葬儀

この地域差により「東北出身の奥さんの親族が亡くなった連絡を受け、最後に顔を見たいと急いで行ったが着いたらもう骨だった」という事例があった

また、最近の関東でも遺骨葬の数が増加傾向にあり、葬儀社には 葬儀と火葬どちらを先に行うか事前に聞いてくるところがある

 ②霊魂送りの伝承

伝統的には、亡くなった方の遺体と霊魂とは別であり、霊魂を安定的に送るためには、

遺体の葬送とともに、霊魂の葬送(霊魂送り)が必要と考えられていた

しかし、近年のホール葬への変化が、遺骸と霊魂の両方を送ることで完結するはずの死生観に大きな変化を与えている

儀礼空間の変化が人間の観念にまで影響を与え得るのである

③ホール葬・家族葬へ ー遺骸送り と 霊魂送り-

現代社会の葬儀は、遺骸送りの迅速化、簡便化が進んできている

また葬儀とは別の日程で行われる「偲ぶ会」などは、

伝統的な霊魂送りの想い(亡き方を偲び その人格を記憶し語り続けようとする心)の延長線上にあるものと位置づけられる

 

 

浄土真宗から見るお盆、民俗学から見るお盆、他宗教他宗派から見るお盆、百人百様のお盆の捉え方があります。

それぞれがそれぞれの想いを持って「お盆」をおこなっているのだと思います。それらを学ぶことによって、今まで見えなかった人の心や、見えなかった世界が見えてくるのだと思います。 

 なお、今回はお盆について書きましたが、歴史民俗博物館では、仏教や宗教に関連するさまざまな論文をみることができます。例えば、「遺影と死者の人格」「近代における遺影の成立と死者表象」「死をどう位置づけるのか : 葬儀祭壇の変化に関する一考察」「「儀礼」から「お別れ会」へ」 「「無墓制」と真宗の墓制」などがあります。(国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ

 

1)浄土真宗教学研究所編集『表白集(一)』より抜粋

2)「盂蘭盆、この言は訛なり。まさに烏藍婆拏と言う。この訳を倒懸と云う。(中略)旧く盂蘭盆はこれ貯食の器と云う。この言誤りなり 」(『大正蔵』第54巻535頁)(ちなみに、唐の慧浄(578~645?)は盆が貯食の器と述べている『盂蘭盆経讃述』「盂蘭盆は、すなわち成食の器なり。盆内にありて仏に奉じ僧に施し,もって倒懸の苦を救う。故に盆というなり 」『大正蔵』第85巻540頁)

3)サンスクリット文献に「ウランバナ」という言葉は一切存在しない。また、「盂蘭盆経」にも「倒懸」を示唆する語はないという理由

4)日本仏教と鯖の関係…東大寺開眼の時、鯖売りの翁の鯖が全て「華厳経」に変わった。

また、「散飯」(サバと読む。食前に鬼神・餓鬼・衆生のために、少量の飯を取り分けて、野外や屋根の上にまくこと)と音が似ていることなどがある

※国立歴史民俗博物館から写真撮影の許可はいただきました

なお、写真に掲載されている第4展示室は今月10月11日から来年の3月31日まで工事につき閉鎖されます