秋季彼岸会法要 ご講師は 神戸中組徳本寺 津守秀憲さんです
無量寺の法座には初めてのご縁でしたが
本願寺布教使養成のための伝道院専修課程で
若院とは 寮のお部屋が一緒だったのです。
若院にとって 共に尊いご縁に遇わせていただいた法友なのですね
ありがたく お聴聞させて頂きました
法話が終わった時いつもならお念仏の声が聞こえるところ
なんと拍手が起こったのです
ありがとうございますの歓びの表現でした
なまんだぶ なまんだぶ
法要の後には じゃんけん大会!
住職とのじゃんけんに勝った方には お供えや手造り品をさし上げています
「最初はぐー」の次
私としては握っている拳は広げたくなるのですが・・・
来年のお彼岸にも津守さんにご縁を頂きます なまんだぶつ
コメントをお書きください
山田 博 (月曜日, 12 10月 2015 01:06)
いつも尊いご縁を戴き、ありがとうございます。
昨日も坊守様にお経を上げる時間についてお尋ねさせて戴きました。
確か三回言われたと思うのですが、「自分の思い立った時に」ということを仰いました。なぜ、そのように仰ったのか、よくよく考えてみると、お念仏する気持ちは、自分から思い立ったのではなく、阿弥陀様から戴いたものだからだと気付きました。
深いなと感じたのが実感です。自分は、本当に不思議なご縁で、無量寺様とのご縁を戴きました。
本題のコメントですが、彼岸会法要の御法話は聴聞して、ありがたい御法話をお聞かせいただいたと感じたのですが、次の10月のほのぼの法話会の御法話の記憶が重なってしまって、ありがたかったという記憶しか残っておりません。聴聞しておられる方の中には、「忘れるのでメモを取っているんですよ。」と言われる方もいらっしゃいました。御講師の先生方も並々ならぬ御準備をされて、お話しされていることと存じます。やはり、ほのぼの法話会の御法話だけでも御講師の先生方に、これだけは知っておいてもらいたいと考えられていることを要旨に取り纏めて戴き、ブログに掲載して戴ければと考えている次第です。
それと是非お礼を申しあげておかねばということがございます。御住職の御母堂様手書きの文ですが、無作為に配っておられるのに何故か自分の境遇の指針となるお言葉になっております。ありがとうございます。
合掌
坊守 (火曜日, 13 10月 2015)
こちらこそ、尊いご縁に感謝しております。
コメント、ありがたく読ませていただきました。
また、法座にお参りください、お待ちしております。
合掌