天津千軒 波の伊八

善覺寺

チバソの長臈 善覺寺のご住職にお会いする為、鴨川市天津に出かけました。

江戸時代の初め頃に、紀州・和泉・安芸といった浄土真宗の盛んな土地から、商人や漁師達がやって来て天津に住み始めます。当時は、「天津千軒」といわれ、大層栄えた所なのだそうです。


善覺寺

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2代目波の伊八

江戸時代も半ば頃、鴨川には「関東に行ったら波を彫るな」と言わしめる程の彫刻師、波の伊八という名人がおりました。

善覺寺さんの向拝虹梁(ごはいこうりょう)は、2代目波の伊八の手によるものです。

 

 

波の伊八系 - 江戸彫工系譜

http://edobori.fan-site.net/ihachikei.htm#波の伊八系


天津の善覺寺

空気が綺麗なのでしょう。向こうの丘が新緑に映え、お堂の姿を際立たせております。

帰りには、ちっちゃなお孫さんまでご家族みなさんで、私たちの姿が見えなくなるまで、ずっと見送って下さいました。

 

 

 

 

歴史と風格を感じるお寺さんです。


過去繰り返された、大津波のお話しも聞かせて頂きましたが、それでもみなさん美しい海の景色には癒されます。

 

 

 

 

 

天津の海は、とても穏やかでありました。

天津の海