らんらんらんらん神田ら~ん!と、
昨年より明るくスタートした講談による法話会ですが、
今年は 神田蘭さん しっとりと
「親鸞物語~愛の至極」を語って下さいました。
親鸞様の妻恵信尼様のお手紙「恵信尼消息」が、ご本山の倉から発見されてより90年余り。
恵信尼様の夢の話はあまりにも有名ですが、何度聞いても有難く、まして講談で聞かせて頂きますと、尚、一層ありがたく味わうことができました。
なんまんだぶ・・・
来年はどんなお話しなのか、今から楽しみです。
まだ、恵信尼様のお手紙をご存じない方のために、一部ご紹介致します。
現代語訳でお読みに成りたい方は、「恵信尼消息第三通」で検索してみて下さい。
さて、常陸の下妻と申し候ふところに、さかいの郷と申すところに候ひしとき、夢をみて候ひしやうは、堂供養かとおぼえて、東向きに御堂はたちて候ふに、しんがくとおぼえて、御堂のまへにはたてあかししろく候ふに、たてあかしの西に、御堂のまへに、鳥居のやうなるによこさまにわたりたるものに、仏を掛けまゐらせて候ふが、一体はただ仏の御顔にてはわたらせたまはで、ただひかりのま中、仏の頭光のやうにて、まさしき御かたちはみえさせたまはず、ただひかりばかりにてわたらせたまふ。
いま一体はまさしき仏の御顔にてわたらせたまひ候ひしかば、「これはなに仏にてわたらせたまふぞ」と申し候へば、申す人はなに人ともおぼえず、「あのひかりばかりにてわたらせたまふは、あれこそ法然上人にてわたらせたまへ。
勢至菩薩にてわたらせたまふぞかし」と申せば、「さてまた、いま一体は」と申せば、「あれは観音にてわたらせたまふぞかし。あれこそ善信の御房(親鸞)よ」と申すとおぼえて、うちおどろきて候ひしにこそ、夢にて候ひけりとは思ひて候ひしか。
さは候へども、さやうのことをば人にも申さぬときき候ひしうへ、尼(恵信尼)がさやうのこと申し候ふらんはげにげにしく人も思ふまじく候へば、てんせい人にも申さで、上人(法然)の御事ばかりをば、殿に申して候ひしかば、「夢にはしなわいあまたあるなかに、これぞ実夢にてある。
上人をば、所々に勢至菩薩の化身と夢にもみまゐらすることあまたありと申すうへ、勢至菩薩は智慧のかぎりにて、しかしながら光にてわたらせたまふ」と候ひしかども、観音の御ことは申さず候ひしかども、心ばかりはそののちうちまかせては思ひまゐらせず候ひしなり。
かく御こころえ候ふべし。